【舟岡山(ふなおかやま)】標高 178m
舟岡山は 鶴来地区の市街地の東南域にある山
白山比咩神社創始の地であり
戦国時代には山城「舟岡城」が築かれた
石垣や櫓跡など中世の遺構が残っている
前田利家が金沢城に入城したあと
家臣の高畠石見守定吉が城主となり
慶長6年(1604年)頃廃城となった
ゴールデンウィークが始まってすぐの日曜日
ガイド仲間と舟岡山を歩くイベントがあった
かつて この山にあった舟岡山城の
城郭を辿ってみよう という試みだ
後をついていくだけとはいえ
何も知らないのはおもしろくない
調べたらこんな地図を見つけた
作成に関わった白山青年の家は
この山のふもと「北口門」のそばにある
わたしたちがスタートするのは
「本丸口」
ここは 白山比咩神社/北駐車場からいちばん近い
徒歩2~3分で着くので
皆 車をここに止め 登城口まで歩く
今回は山城跡を探検する山歩だー♪
「本丸口」に着くと案内板があった
【舟岡城(剱城)跡と義経往来】
と 書かれている
昔々 追われる身の義経はこの通りを歩いたのか
因みに 描かれている城の絵は信じてくれるな
と 以前 ガイドの大先輩から言われたことがある
戦国時代にこの絵のような「石垣」はない
この絵はありえない と 確かに・・
今日は大所帯!
竹林が生い茂る道をゾロゾロいく
やや急だけどすぐ終わるので誰でも歩ける
ただ も少し暑くなると
歩きたくなくなるくらい虫が大量発生するらしい💦
今日は 空気も爽やか いい日だー♪
道を何度か折れ
うつむき気味に歩いていたら上から声がした
“石積みが見えます!”
顔を上げると
ゴロゴロとした不整形な石が見える
見たような石だなと思ったら
この地を形成する石の一つ グリーンタフのようだ
尚も声が響く
“「石垣」とはいいません「石積み」といいます”
そもそも「石垣」というのは
石を重ねた「構造体」のことをさし
石も積み方を計算して「加工」してある
「石積み」は
自然の石をそのまま積み上げているもの
舟岡山城ができた戦国時代
代表的な積み方のひとつが
織田信長軍が好んで使ったというこの
「野面(のづら)積み」
なのだそうだ
目の前の石積みは
草に隠れて見にくい部分もあるけど
20mくらいかな 横一直線に延びていた
その先端まで進むと右に90度折れ
目の前の視界が開けた
“ここが「虎口」といわれる城の出入口です”
間口は狭い 城を防御するためらしい
ここで皆がざわめきだす
虎口の右側を見上げると
びっくりな光景だった!
スギの木に藤の蔓が巻き付いている⁈
LOVE💓LOVE💓だ♪ いや・・
天に飛翔する 龍 のようだ!
“・・ということで 最近は中国人に人気らしいよ”
と 先輩ガイドがおっしゃる(ホンマかいな)
開けた空間の右側には「曲輪」
今見てきた石積みの上が
こんなふうに平らになっている
当然 建物もあったのだろうな
今はスギしかないけど “時間” のうつろいを感じる
反対側に目をやると 石碑が立っていた

白山比咩神社創祀之地(そうしのち)
(☝全景撮れてなかったので以前撮ったもの💦)
舟岡山が 白山比咩神社が
最初に祀られた場所だと示している顕彰碑
樹々があって見えないけどこの後ろに
“しらやまさん” はある
石板には 崇神天皇七年(紀元前91年)
ここに 白山の神さまが最初に遷座されたとあり
その後 三度の遷座で現在の地(三宮)に置かれたとある
先へ進むと道が橋のようになっていて(土橋)
右側に大きな「空堀」があった
空堀は曲輪と曲輪の間につくられる
堀の右側が今来た曲輪
左側の曲輪は少し広く高くなっている
ここに「主郭(=本丸)」があったらしい
道の反対(左)側は 崖状(堀切)になってる
堀切の向こうに やや小高い“盛り” がみえてきて
足元に転がった壊れた標識を見ると
「出丸矢倉」と書いてある
櫓台のあとかー 納得!
土台の部分はしっかりと石積みがされていて
ここから周囲が見渡せたようすが目に浮かんだ
櫓台の横は 崖を活かした堀切
ここを上ってくるのは無理だわ
ここ大事らしい
基本 山城ってのは
自然の地形を活かしてつくる「砦」
前は土塁や堀でガッツリ防御し
後は堀切にできるような地形を選ぶ
セオリーどおりだな
右手に「二の丸」曲輪が広がる
道を更に行くと分岐の表示
“馬出し門のほうに行きます” とのこと
分岐を右に折れ
二の丸を回り込むように進むと
正面にも連続した土塁があらわれる
因みに「馬出し門」とは ?(AIに聞くと)
城の主要な出入口である虎口の前(外側)に
設けられた 小規模な曲輪(囲い)とある
(イラスト地図で確認)
なるほど 門は狭い
そしてこの細長い曲輪を
細長い土塁が支えていて今見てるのがそれか⁈
土塁はそう高くない (1mほど)
上がってみる
おー!写真で伝わるか・・
どこもかしこも同じように見えるが
この土塁の上に立ったとき
予想以上のスケール感にちょっと身が引いた
連続してつくられているのはこの上に
塀がつくられていたからだろう
土塀とその向こうの敷地とは高低差がかなりある
ここを上ってきても塀が盾になり
内側から攻撃される
地形図でみると舟岡山でいちばん高いのが
今まで歩いてきたところと今いる辺り
本丸も二の丸も
この高くなったところにつくられている
馬出し門をここに造り
敵に攻撃を仕掛けたり
中に入った敵を城内から一斉に攻撃する
馬出し門は血で血を洗う場になるわけだな
因みに地図の一番上に書かれている
土塁の先端も歩いた
(北(右)に方向転換するところ)
△マークはおそらく「山頂」の標
そしてここには 櫓台もあったらしい
皆も 次々に歩きだす♪
楽しそうだ(笑)
目の前のスギがひとつ残らず消えてくれたら
城下はどんなふうに見えるのだろう
と 思うとちょっと残念だった
そういえばさっきから言ってる「敵」とは!
イラストマップにも書かれているように
始めは一向宗の人たちが織田信長の軍に
対抗するためにつくったとされている
ここ石川県では
「加賀国」と呼ばれたころ(戦国時代)
一向宗(浄土真宗)の門徒たちが
100年近くも領地を管理し自治を行っていて
「百姓の持ちたる国」と言われた
織田信長は一向宗(本願寺)と争いを続けていて
それはこの加賀国にも及んでくることに
一向宗は織田軍の柴田勝家との戦いで敗れ
城は織田方の手に落ち
石積みなどはそれ以降につくられたらしい
(それ以前は土塁のみだったらしい)
勝家は 加賀一向一揆最後の砦
「鳥越城」を落とすため
未だ激しい抵抗を続ける門徒宗を打ち破るため
現在の形にしたのだと思われる
分岐に戻ってきました
まっすぐ行けば「北口門」へ行ける
少しだけ進むと道沿いに丸太で作った
椅子というかお立ち台?が数個並んでいた
そこは
場所を少しズラすと
手取川と白山頭首工が見えた💓
おーここはいいー♪
川の上流には 死守すべき「鳥越城」がある
どんな気持ちで見ていたのか
考えると暗い気持ちになる…
外周りはここまでらしく 今度は
(北口まではいかない)
分岐に沿って城郭の中心へ向かうらしい
再び「馬出し門」方向へ歩を進める
白山市指定文化財です♪
その上には あれも櫓跡だろうか
二の丸 本丸の土塁がつづく
空堀を挟んで本丸のある曲輪を見上げながら
カーブを曲がると分岐あり

東口門へ通じる道らしい
この道を右にして直進 次の分岐は

「大手門」へ向かうみたい
山歩もそろそろ終盤戦?
どんどん下って行く 方向がわからん💦
建物が見えてきた ここは?
大手門 出口
舟岡山の東側にある県道にでた
舟岡山のベース部分
ここから石を切り出して積んでいったのか
大手門の正面には県道越しに一本の道
“この突き当りには八幡神社があります”
そう聞いて なるほどここを出入口にしたわけが
わかる気がしました
しらやまさん駐車場へ戻るため
テクテク歩いていると
“ここが東口門です”
おー!
石段もあってわかりやすいかも
登城口は4ヵ所ある
(本丸口・東口・大手口・北口)
それぞれの場所から入ってみると
違う発見があるかもしれない
それは次の機会にとっておこう🎵
今回は 不覚にも記録をとり忘れてしまった
けど 2時間半は歩いてきた
歴史好きが集まって
あーでもないこーでもないと言いながら
歩くのもまた楽しいもんです
皆さん お疲れさまでした🎵
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