東日本大震災で係る福島第一原発事故により、石川県に避難してきた浅田さん
石川県には浅田さんのように避難されてきた方々が、たくさんいらっしゃいます。
故郷への想いや、家族・友人への想い
違う地方へきたことにより、感じた気付きや暮らしにくさ・易さ
他県に住む者としても、知りたいエッセンスが、お話の中にたくさん散りばめられています。
あの日、彼の地で何があったのか
街は、人は、動物たちは・・
きっと、何かできるはず
そのヒント、2時間の間にきっと見つかるはず・・
【講師プロフィール】
浅田正文さん
<経歴>
・1941年東京生。
・東京・神奈川で会社勤務の後、1995年 早期退職し福島県都路村(みやこじむら:現田村市)へIターン。
・「自然農」による半自給自足農。薪ストーブ・薪風呂、太陽熱温水器 等々自然の中でのゆったりした生活。
・1999年 都路村議:一般廃棄物最終処分場建設に反対、目的を達成し1期で退く。
・2011-03-11の福島原発事故の避難指示を受け、知人の招きで金沢へ避難。田舎から再び都会へ”想定外”の生活が始まる。
・2011-06-28 原発事故直後の東電株主総会で株主提案趣旨説明
・裁判で原告意見陳述・講演・集会、等で機会あるごとに「さようなら原発・生まれ変わろう日本」を訴えている。
<主な脱原発活動・所属>
・福島原発告訴団・北陸事務局
・東電株主代表訴訟、志賀原発訴訟、大飯原発訴訟 等の原告
・東京電力、北陸電力、東北電力 等の株主運動
・脱原発福島ネットワーク ハイロアクション福島40年実行委員 等
・福島県自然保護協会会員
・「11の会」共同世話人 (福島・関東等からの北陸避難者と出会った方々でつくる緩やかなつながりの会)
※「東北復幸のバス基金」とは
「らぽ~る互縁」という金大生OBOGが立ち上げた団体が、設立した基金です。
東北地方への学生ボランティア派遣継続支援および被災者との交流・協働を行う団体です。
募金活動と各種イベントを通して、金沢と東北の「ご縁」を繋いでいます。
いただいた寄付は、東北への学生ボランティア派遣活動に充てられます。
あの日からもうすぐ4年。東北への学生ボランティア活動が存続の危機に陥っています。
つながったご縁が消えてしまうのを見過ごせない!
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《 イベント後記 》
津波と放射能汚染という未曽有の災害を被ったフクシマ
「汚染」・・細菌・ガス・放射能などの有毒成分やちりなどで汚れること
汚れちまった故郷・福島県都路村(みやこじむら)を離れ
金沢で避難生活を送る、浅田正文さんと眞理子さん夫妻
帰りたい、でも帰れない怒りとやりきれなさが響く
ゆったりした自然の中で、半自給自足農の生活を送っていた
幸せで充実した日々だった
が、あの日「2011.3.11」・・
愛すべき大地は、放射能に汚染され
野菜も米も山菜も・・全て口にできる状態ではなくなった
そこに息づくモノたち、カエルや魚や動物たちからも
恐ろしいほど高レベルの放射線が検出された
目には見えない、臭いもないけれど、確かにそこに存在する恐怖
放射線検知器だけが、乾いた数字をたたきだす
食べるものも、遊ぶ場所も制限された子供たちの将来は?
保証なんて誰もしてくれない
未来なんて誰も約束してはくれない
生態系を根こそぎ狂わす、この始末に負えない悪魔の恐怖は末代までつづくのだ
「再び原発事故を覚悟しますか!」浅田さんは問う
事故から4年たった現在でも、
箸にも棒にも掛からない状況をみていれば
わたしたちがしなければならないことはわかるはず
反原発を受け入れ、原発再稼働を阻止する動きを継続する
投票へもちゃんと行く(もちろん反原発派へ)
私たち一人一人が「忘れないこと」で未来が決まる
愛する子供たちに残したいのは「汚染」などのない柔らかな大地
浅田さんが言う
「豊かな国土と そこに根を下ろした生活を 喪失してはいけない」
わたしも言いたい
「忘れることは、自分たちの未来を捨てること」
貴重な体験談、ありがとうございました<(_ _)>
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