「たま山歩/未踏の山道をもとめて」
【小谷城(おだにじょう)】(標高 340m)
(小谷山/標高 495m)
滋賀県長浜市にあった戦国時代の日本の城
浅井氏三代の居城で堅城として知られた
日本五大山城の一つで 国指定史跡
現在は 本丸跡や石垣が残り
ハイキングをしながら
戦国歴史資料館や周辺の遺構を楽しめる
金ヶ崎をでてから一時間半
ここは 滋賀県長浜市
小谷城について予習ができると知り
まずはここに寄り道
当初 合戦地巡りは火曜にしようと思っていた
帰りの道すがら寄れたらいいなと・・
が それを一日目にしたのはここ
資料館の休館日が火曜だったからだ
平日に動く人によくあるのが
休館日を忘れて風呂入り損ねるというやつ
火曜休みは多い 要チェックなのだ
受付で 入館料¥350を払う
常設展示室が左右に分かれて配置されてる
先に第二展示室(右)に行くと
「小谷城」をテーマにした部屋だった
小谷城址の絵図や曲輪(クルワ)復元イラストから
詳細な構造を知ることができた
館内撮影はNGなので
いただいたチラシを載せておく
室内には 城の見どころを解説したパネル
そしてジオラマがあった これはわかりやすい
細長い(狭い)尾根に一列に配された曲輪
深く切れ込んだ谷 V形の向こう側にも守りの砦
全体の規模が大きく
守りに徹した攻めにくい城? を感じさせる
ジオラマに見とれてる間にどんどん人が入ってきてて
一緒にDVDにまとめられた城の説明を聴いた
皆 きっと昨日の豊臣兄弟をみて火がついた人たちだ
この町はNHKが「大河ドラマ」を造り続ける限り安泰っぽい
ところでここ小谷は城も凄いけど
浅井三姉妹が生まれた地で
そこを猛アピールしてたのが第一展示室
2011年に放送された大河ドラマ
「江〜姫たちの戦国〜」は毎週見てた
“のだめ-”の頃から上野樹里チャンが好きなので
この頃の記憶とリンクして懐かしさがこみ上げた💓
城マニアではないけど「御城印」¥300(安い!)
買ってまうよねー♪
さぁ 歩きに行こう♪
資料館のある場所は清水谷の出口付近
城への入り口は・・途中まで車を使う人は
ここから一度県道に出なくちゃいけない
ガチで歩く人はここから
資料館のすぐそばに標識がある
来館者の服装をみてると半分くらいいそう
わたしは今回は登山をする気は(時間も)ないので
シューズだけそれなりのを履いてきた
車で「番所」と呼ばれるところまで行き
そこからが 山歩の始まり♪
車で2分 隣りにある小谷城跡ガイド館へ
そこから8分ほど山道を走る
道は舗装路なので走りやすい
駐車スペースは 7・8台は止めれるかな
そこから1分歩いて
ここからスタート 13:00
小谷城址はイラストにあるように
一帯の尾根筋や谷筋を南北に長く活用してるのが特徴
本丸の更にその先にも昔の本丸があって
代を重ねた分 増築も重ねて今みたくなったらしい
<①番所(バンショ)>
登城者の検問所があり城郭主要部への入り口
展望佳き♪
右に見えるのは横山城だろうか⁈
近いなー💦
<②御茶屋(オチャヤ)>
主要部最先端の曲輪跡
風雅な名に似つかない軍事施設 かなり広い
<③御馬屋(オウマヤ)>
“湧水ではないが 往時は 年中 水が絶えなかった”
とは?
水はどこからきてたのだろう?
三方を高い土塁に囲まれている
馬小屋があったかは不明らしい
横山城址と姉川合戦場を見下ろせると?
どこかあのあたり?
伊吹山(左上)が同定の助けになってる💦
存在感ありすぎ♪
少々歩きづらい傾斜路にきてふと地質が気になった
見た感じ かなり硬そうだ 調べたら
「チャート」と「メランジュ」という
泥・砂・プランクトンの死骸でできた山らしい
細長い尾根も長いこと(3億年くらい)の
浸食の結果 残ったもの(だから硬い)
そのうえに築かれたから
こんなガンコな城になったわけか
やっぱ地盤って大事☝
<⑤赤尾屋敷(アカオヤシキ)>
天正元年9月1日に
浅井長政が自刃した地らしい 29才だった😢
この右手奥にある↗
<⑥桜馬場(サクラバンバ)>
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のロケ中心地
城内随一の大パノラマがひろがるところ
<⑦黒金御門(クロガネゴモン)>
両袖に巨石の群れを構えた御門跡
秀吉の破壊による跡が往昔を物語る
<⑧大広間(オオヒロマ)>
浅井長政の妻子(お市と三姉妹)が住んだとされる曲輪跡
千畳敷とも呼ばれ城内最大の曲輪
<⑨本丸(ホンマル)>
南側に石積み 北側に大堀切が見られる
天守など城の中心となる建物があったらしい
小谷城の中枢
落城寸前まで長政が住んでいたところ
となれば 普通ならここでUターンとなるところ
そうはいかないのが小谷城
まだ先がある なぜ?何のために⁈
<御局屋敷跡(オツボネヤシキアト)>
本丸の西下にある曲輪
ここへは下りなかった
<⑩大堀切(オオホリキリ)>
右上が本丸跡
本丸の北にある大規模な堀切
ここを境に曲輪の構造に変化がみられる
ますます高度を上げて行く城郭
三段から成る曲輪にはそれぞれ
横矢を設けている 石垣が残る
<刃洗池(カタナアライケ)>
上段で雨水を集めて泥を沈殿させ
下段の池に上澄みのきれいな水を貯める
飲料水・生活用水の貯水池というけど
雨水だけで賄いきれるのか?
<⑫京極丸(キョウゴクマル)>
京極氏の屋敷があったと伝えられ
大広間に次ぐ広大な曲輪
天正元年(1573年)8月27日夜半 秀吉によって
攻め落とされ 久政が守る小丸と長政が籠る本丸を分断した
秀吉は水の手谷から
ここに攻めあがってきたといわれる
これは凄い!
高さ3m 小谷城最大規模の土塁(東側)
<小丸(コマル)>
山王丸と京極丸の間にあり東西2段の構造
小谷落城の際に久政が籠り自刃した地といわれる
<⑬大石垣(オオイシガキ)>
(残念 写真撮り損ねる💦)
破城の痕跡が残る南側斜面
小谷城最大の石が散乱している
この向こう側 山王丸の東側斜面に
高さ5m余りの大石垣が残っている
ここはホント大きな石がいっぱい!
<⑭山王丸(サンノウマル)>
ここが小谷城の「詰めの丸」
もう後がない!ってとこね なんだか物悲しい
中央には山王権現が祀られていた
まさに もはや ここまできたら 神頼みしかない!
山王丸の最北端はここ
先はまだあって 昔の本丸があったところ
大獄(オオヅク)に続いている
一旦鞍部に下りて(月所丸)登り返すと
そこが 標高495mの山頂
行ってみたかったけど 沢の水音が聞こえたり
往復の時間を考えると冒険はできず
今回はここまで 戻る
そう ここで体感する
小谷山頂と小谷城との標高差は150mもある
水を通し遮る機能を持つこの山の性質に寄り
水不足の心配はない
(事実 私は沢の水音を聞いている)
昔の人は自然と一体で暮らしていたから
容易にわかるのかなー
この山を選んだ先見の明に脱帽です
終了 14:15
一時間ちょっとの山歩だったけど 十分満足♪
小谷城がなぜ堅牢と言われたのか
信長がなぜ攻略に3年もかかったのか
細長い尾根の上を歩いてみてわかったのは
やはり地形地質が大きく関わっていたのだということ
ジオっておもしろい♪
次は「姉川古戦場跡」ナビに入れると 19分と出た
余裕はある 国道365号線をひたすら行けばいい
走ってたらまたまた「道の駅」の標識発見!
名前が「浅井三姉妹の郷」これは寄るでしょ♪
浅井三姉妹の像
店内に飾ってあった樹里チャン
美しすぎる💓
道の駅をでて暫くして草野川を渡った
(姉川ではない)
Googleナビのピンはまだ先 やがて看板が
まちがいなくここが姉川古戦場!
ナビが連れてってくれたのは「血原公園」(スゴイナマエ)
駐車場にあった案内板 わかりやすい
特にこれ「姉川合戦布陣図」
今わたしが居る場所には 朝倉軍がいて相手は家康
多くの戦死者の血で染まったから「血原」とついた
隣りは 織田と浅井
それにしても両軍合わせて 47,000人⁈
ホントにそんなに集められるものなのか
でも今この麦畑のなかにいると 確かに
広ーーーーーい
堤防に近づくと 慰霊碑があった
3000人以上の死者を出し
流血で大地も川も赤く染まった
血原・血川という地名はそこから残った
まさに戦国!
それにしても 何だか違和感
看板と慰霊碑以外に合戦を物語るものがない
そもそも人がいない
小谷城にはあんなにいたのに 静かすぎる
そうだ 川はどこ? 堤防に上ってみると
霞提と書かれた看板があって 草ボウボウでなんか
イメージしてた姉川と違う
時間があるのをいいことに
Googleナビにでてきた
もうひとつの「碑」まで歩いてみた
県道をブラブラ歩いて来たら
こんな感じ
ん?これだけ? またも拍子抜け
もやっとしながら田んぼの道を歩いてた
風に揺れる青い麦穂と
彼方に見える伊吹山にホッコリ♪
そうだ 姉川の水源は伊吹山だ!
公道の橋を渡ってみよう!と思った
車に戻り近場の橋のそばに来た
車が通れない状態で 歩いて橋のまん中へ行き
上流を見渡した 凄かった!
これだ!探していた風景にやっと出逢えた♪
神さま ありがとうございます
想像してみる
堤防をなくし川幅と川原を広くとる
元亀元年(1570年)6月28日
開始:午前5時ごろ/終了:午後2時ごろ
曇天で/蒸暑い/梅雨の真っただ中/増水した姉川
重い甲冑/過酷/接近戦/十三段の陣/家康の横槍
―野も田畠も死骸だらけだった―
と 信長の記述
こちら(南)側に浅井軍
こちら(北)側に 織田軍
想像(空想)のなかで動いてくれるのは
やっぱりリアル豊臣兄弟(壮亮&太賀)しかなく
小栗旬の信長/中島歩の長政/宮崎あおいの市
に なってしまう💦
私はここに何をしに来たのだろう
本当の痛みも知らないのに
3000もの死体なんてみたこともないのに
どれだけ凄惨な史実も空想のなかでは浪漫になる
これって何なんだろう
・・・・・・・・
伊吹山と姉川と血まみれの豊臣兄弟に
もう暫く想いを馳せてるのもよかったけど じつは
風が相当強く吹いていた 時間は16時
朝も早かったし少し疲れたかも
道の駅に行く前にお風呂に浸かりたいと思い
ナビで検索してでてきた「至福の湯」に決めた
下道で1時間ほどかかるみたいけど
できるだけ近江八幡に近づいていたかった
建物の一階にある
お風呂から上がったら道駅探し
ナビ検索ででたのが 東近江にある
「道の駅 あいとうマーガレットステーション」
10分で移動
混んでることもなく騒音もなくトイレも近く
差し込む夕日を見ながら
翌日のスケジュールをチェック
今日の写真できるだけ整理して
音と余計な情報のない時間を愉しんだ♪
20時就寝
<おまけ>
あとで Googlemap を見直したら
なんと!
「姉川古戦場跡」はひとつじゃなかった!
同じ名の付くポイントが複数存在していること
もっと早く知ってたなら
でもまぁ これも「手作りの旅」らしいかな
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