2017/08/16

『生きるために食うのではなく、生きているから喰う~映画“野火”の世界~』

あまたある戦争映画のなかでも、この「野火」からくらった一撃は大きかった。
そもそも「野火」を、戦争映画というジャンルでくくることに意味があるのかという疑問さえわいてくる。

太平洋戦争末期、舞台はフィリピンにあるレイテ島
肺を病んだ主人公の田村は、自分の死期を感じながら密林を彷徨い歩く。
が、彼の身に起こる状況の変化が、生への執着を甦らせ、そーなったらなったで今度は「生き抜く」ことに葛藤する。

この映画を貫いている最大の敵は「飢餓」である。

本来、敵兵と戦うために戦地へ送り込まれた友軍に本体からの補給(食料と武器)はなく、日本兵は戦うまえに飢餓と現地病で次々と命を落としていく。

平常時では在りえない行動、正気の喪失、生への渇望
生きるために食うのではなく、生きているから喰うんだ、を思わせるほど人としての理性は失われていく。

それは紛れもなく野生である、通常の生活では忘れているけれども…
ひとたび、一線を越えてしまえば(味を〆たら)、共喰いへの躊躇いも吹き飛ぶ。
ここには法も倫理も存在しない。生きながらえることのみに知恵を使い行動するだけ



戦場で兵士たちが機銃掃射を浴びせられ、虫けらのように死んでいくシーンがある。
ポンプで押し出されるように噴出する血しぶき、吹き飛ばされる手足や臓器などがリアルに描かれている。
これが観る者に痛みを投げかけ、虫けらじゃないことを思いださせる。

或いは、マラリアで、衰弱で、力尽きた兵士の尋常でない死にざまを見れば、死臭や腐臭といったものさえ感じそうになる。

死体に蛆がわく場面もよくでてくる。
弱った身体をハエは見逃さない
普段、不潔だと忌み嫌い、人間が殺虫剤で追い払おうとする「彼ら」の、今度は餌になる

映画の醍醐味(役割)は、視覚に訴えてなんぼのもん
塚本作品のグロさは、定評があるところだけど、この映画でもリアル感を追求した映像が観るものを絶句させる。


表向きは戦争映画の「野火」

肉体と精神が崩壊したら、ひとはここまで獣化できる…
それを伝えるために戦場という舞台をしつらえた、とも思えてくる。

史実と相まっていることで、よりリアル感が増す。
(あくまで私が感じる野火、原作とは感じ方が違う)


戦争は悲惨で愚かしい行為、そんなことわかってる、と誰もが口をそろえて云うだろう
でも果たしてそうだろうか?

私たちは戦争の本当のおぞましさを知っているだろうか?

野火を観ることで、
「体験したくない!」という思いが身体中に深く刻まれればそれでいい
「痛みを味わいたくない」という一点で戦争に抗う思いを強くしたっていい

そして、この惨劇を引き起こした背景にある史実に無関心でいないことも大切なことだと思うのです。

戦後72年、戦争を知らない私たちは、歴史から知恵を学べるはず

繰り返してはいけない、繰り返してはいけない
そのために知ることから目をそむけたくない


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