2017/09/26

「命の価値観」を「戦艦大和」に想う~呉市大和ミュージアム~2017.9.11

先日、生まれて初めて「広島」に行って来ました♬ 

「広島」は生半可な気持ちでいくもんじゃないっていう縛りのようなものがあって、でも「いつか」行けるやろって思いながら月日は経ち…

なんとなく、今年の夏は戦争をマジっと考える機会も多かったので、行くなら「今でしょ!」ってことで、緊急決定&決行!

書物を読んだり、映画やYoutubeを観たり、色んなところから刺激を受けてるうちに「軍艦」にも興味が出てきた。太平洋戦争時、日本の名だたる軍用艦を生み出してきた「呉海軍工廠(こうしょう)」跡をモーレツに訪れてみたくなった!

何てったって、あの「戦艦大和」もここで建造されたのだから
そう「大和」自分は、あの「宇宙戦艦ヤマト」(TV版)をリアルタイムで観てたのだ!

あの頃は、本物の「大和」が何たるかも知らなかった。調べていくうちに事実は小説より奇なりというか…その「死にざま」に至るプロセスを追ってるうちに、恋慕はどんどん深くなっていき…

「大和」にまつわるまだ知らない事実を体感するため、1日目は「呉」に飛んだ!



最寄り駅(松任)6時14分発の「サンダーバード」
からのー、初めての山陽新幹線「のぞみ」!

新大阪駅にて/こころ浮き浮きわくわく~!♬


呉線乗り換えの待ち時間に入ったベーカリー
広島カープのCAPを模したパンに思わず手が出た!可愛ー!♪



まずは「呉」へ行くでござる!
乗り継いでたら呉駅到着時は既に正午



呉駅から自由通路を歩いて5分のところに
「大和ミュージアム(正式には呉市海事歴史科学館)」はあった



建物の外壁に平行に置かれた「戦艦陸奥」の「41センチ主砲身」
射程距離30km でかい!とてつもなくでかい!!



「大和」はこれよりでかいんだよね!


受付で、特別展「海底の戦艦大和」込みの入館料¥800を払い
すぐ左のホールに目をやると、そこには!「大和――!」
デカい!そ、そして…美しいー!


当時、日本が持てる全ての技術力と現場力を結集して建造された世界一の大戦艦!1/10モデルとはいえ、全長26m、総重量30トンもある!これは模型であって模型じゃない!

大和は悲劇の戦艦と云われる。日本国の命運を託され、国民の精神的支柱でもあった巨大戦艦は、航空機が主力になってその力を存分に発揮できないまま沖縄戦で沈んだ。

そのドラマチック過ぎる幕引きに心がざわつくのは、自分の中に流れる日本人の血のせいだろうか、とふと思った。

「大和」とは何だったんだろう、時間が許す限り知りたかった。






大和ミュージアムに入る手前で、自衛隊員と思しき制服を着用した妙齢のお兄さん(?)に呼びかけられた。「艦船クルーズ」に参加しませんか、ということだった。時計を見れば12時半、出航まで30分ほどしかなかった。

自衛隊の艦船を間近で見れると聞けば、がぜん興味が湧いてきた!が、とにかく「大和」に会いたかったので、ミュージアムに駆け込み、しばし酔ったあと、発着場所の「呉中央桟橋ターミナル」へ向かった。ミュージアムは出入り自由、さすがお膳立てできてる!^^

「呉艦船めぐり」 ↓
http://kure-kansen.com/



受付で¥1300を払って…


専用フェリーに乗り込む♪


小雨交じりの天候の中、巨大タンカーのでっかい腹が見えてきた!


海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」艦名は豊後水道に由来する
機雷の排除を任務とする軍艦


輸送艦「おおすみ」
陸上や他の船舶に対して武器弾薬や人員を運ぶ軍艦


潜水艦(名前知らず)がディーゼルエンジンを稼働しているところ
排気が煙のように見えるけど水蒸気(解説の人も白煙と云っていた)



海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「かが」
何だか親近感…💕




戦艦大和建造ドック「大和のふるさと」
大屋根は当時のまま保存 あーあそこに「大和」が…と思うと感慨深い


「呉中央桟橋ターミナル」5階 360度見渡せる展望台から港湾を望む
係留中の海自の艦船がたくさん見える どこからみても平和そのもの


海軍と共に時を刻んだ街にしばし思いを馳せる
昔ここで壮絶な戦いがあったことなど夢のよう


20分ほどクルーズでの観覧を楽しんだあと、再び大和ミュージアムへ戻った。ちょうど「海底の戦艦大和」という特別展が開催されていた。(11/27まで)

2016年5月、大和が沈んだ鹿児島県枕崎市沖の海底で行われた海底調査の成果を展示公開している。無人潜水探査機なんて凄いものができちゃって、調査のたびに謎が少しづつ解明されていく。

その意義は大きい、というのも「大和」は、国家の超々極秘プロジェクトだったため、設計図は門外不出、資料は殆ど残っていないに等しい。1/10模型をつくるにあたってもどれほどの苦労があったか…(戦艦大和復元プロジェクトより)

海底の「大和」は…私たちが知っている雄姿からは想像もできないほど破壊しつくされていた。その艦体はバラバラに飛散し、海底の砂上に散乱していた。上も下もなく、右も左もなく、無秩序に鉄のカオをのぞかせて眠ってるだけ… 驚くべきは、そんな鉄の破片の一つ一つが位置する海底図まで、いまや作れる時代になっているということ。調査技術の進歩に驚愕する。




特別展示室をでたあとは、常設の展示室へ足を踏み入れた。ここでは「大和」を生んだ「呉海軍工廠」のこと、「呉」の歴史、時代背景、戦況の移り変わり、もちろん「大和」そのものについて時系列で、写真や資料映像を公開している。とにかく広いし、情報量が半端ない!順路に沿って見ていくだけでもかなりの時間を費やした。

「大和」の歴史は「大和」が沈没したところで終わる。時間が押していくのを感じながら、最後のコーナーに差し掛かった時、私は自分をこの場所に強く引き込む力を感じて一瞬躊躇った。私の視界がとらえたものは予感した通りの胸苦しさを運んできた。目の前のガラスケースの中には「遺書」があった。

「大和」最後の出撃命令は「海上特攻」(沖縄特攻作戦)という使命を帯びていた。生きて還る望みを持つことを許されなかった乗組員たちは、各々が家族にあてた「書簡」或いは「遺書」をしたためた。その肉筆の生々しさ、読みつづけるうちに目頭が熱くなってきた。反対側の壁には戦死者名簿と共に、この戦争に駆り出された帝国海軍の軍艦の名前が列挙されていた。その殆どは海の藻屑と消えた。その一隻一隻に乗船する何百人何千人ものひとの命と共に…やりきれなかった。


大和広場を挟んで、反対側には大型資料展示室がある。どんよりした気分を払拭できないまま、広い室内に入るとそこには「特攻兵器」があった。


「零式艦上戦闘機六二型」いわゆる零戦
敵軍を悩ませた帝国海軍自慢の戦闘機も
末期には爆弾ごと敵艦船に突っ込む神風特攻に使われた


特攻兵器「回天」十型 「人間魚雷」
人間が魚雷を操縦しながら目標とする艦艇に体当たりする(1人乗り)


特殊潜航艇「海竜」世界初の翼を持った潜水艇
両脇に抱えた魚雷を発射後 目標の艦艇に突入する「水中特攻兵器」


始めにこの「回天」を見たとき、反射的に嫌悪の感情が湧いてきた。そばには出撃していった特攻隊員が書き残した「遺書」とそれを読み上げた肉声を聞けるスピーカーが設置されていた。国家の恣意に翻弄されて、命を散らしていった若者たちなのだと思い込んでいた。が、事実は違っていた。それは私を大きく戸惑わせ、怒りは宙に浮いてしまった。

この殺人兵器は、戦局の好転が難しい状況を打開しようと若い将校自らが考案し、開発したものだと知ったからだ。「天を回(めぐ)らし戦局を逆転させる」兵器。「敵艦に上手く突入すること」だけを目標に命を懸けた搭乗訓練が日夜行われた。出撃は優秀な者から順に送り出された。年齢は20歳前後、若者たちはまるでマインドコントロールでも受けているかのように思える。理解できない、戦争が人を狂わせるのか

呉市海事歴史科学館  ↓
http://yamato-museum.com/




展示室をでたとき、時間は4時半近かった。そーいえば、隣にある「てつのくじら館」に行ってなかったな、と気付く。間に合うか?!受付終了は確か4時30分!

外は雨が激しくなってきたところだったが、思い残すのは嫌だった。走った!目の前の紅い巨大な潜水艦目指して走った!

「てつのくじら館」は「海上自衛隊呉資料館」の愛称だ。建物正面にはまさに鯨のごとき巨大な潜水艦がモニュメントとして置かれている。ぎりぎりセーフで駆け込んだ。お目当ては「潜水艦あさしお」退役した実物の潜水艦の艦内見学ができる、そこに行きつくまでに「海自のお仕事展示場」を通っていかなくてはならない。余り興味はなかったのだけど、これがなかなか…初めて観るモノ聞くモノばかりで結構楽しめた♪

「海上自衛隊呉資料館」HP  ↓
https://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/



「海にかける使命 海を守る熱き想い」かー
そーいえば、映画「海猿」の撮影も近くであったらしい


海自の重要な仕事といえば「機雷」除去
第2次世界大戦中 日本近海には約1万700個の機雷が敷設された
戦後 海自はひらすらその除去を任務としていた


安くて破壊力が大きくて武器としての費用対効果が高い「機雷」こわっ!


機雷を除去する「海中ロボット」もちろん無人


海上に浮いた係維機雷を処分する「20ミリ機関砲」


ユニークなカオを施された「フロート(浮き)」


海自の歴史と掃海艇の活躍を見たら3階に上がる。ここからは潜水艦についての解説が始まる。ぐるりと順路をいくと、その先には戸外にでる通路があり、建屋と「あきしお」が繋がっていた!始めて見る潜水艦内部、トイレにシャワー室…生活感ありありの共有スペースから始まり、廊下は徐々に中枢部へと延びていった。






ベッドルーム プライベートはほぼナシ といっていいみたいな…
アタシにはここの生活はムリだな 狭っ!



上の写真の右側が談話スペース? 広いとはとてもいえない


の左側 通路を挟んでベットが幾つか…スペースを有効利用?


艦の中枢 操縦席 何が何だか…


潜望鏡 これオモシロかった!
かなりクリアに向かいの大和ミュージアムが見えた!♪
固定されているのか回転はできなかったけど…


潜水艦をでると、みたび大和ミュージアムにとってかえり、閉館の18時近くまでショップでお土産とにらめっこ。あー、やっぱり心残りが多すぎる…「アレイからすこじま」も「歴史の見える丘」も「旧呉海軍墓地」も「大和ギャラリー零」も行きたいところはまだまだあった!「呉」オモシロ処満載!しかし残念ながらタイムアップ!





軍艦萌えのきっかけはこれ!
著者の「戸高一成」さんは「大和ミュージアム」の館長
予習はバッチリしていったはずなんだけどなぁ 時間が足りない


1945年4月7日14時23分「坊ノ岬沖海戦」で、大和は横転した後大爆発を起こし、艦体は2つに割れて沈没した。乗組員2740名が戦死。

特攻兵器「回天」による戦没者106名 没時平均年齢20.8歳

この日ここで一番感じたことは、今の世の中とは余りに違い過ぎる「命の価値観」

海戦は艦が沈めば、ひとも一緒に沈む、それも大量に!一度に!「大和」だけじゃない、ここ「呉海軍工廠」を始めとした軍需工場で建造され、出航した何百という艦のほとんどが、南方戦線(作戦)で沈んだ。敗れても敗れても、まるで交換可能な部品を補充するように、更に洋上へ押し出されて、最後のコマ(大和)は、あろうことか特攻兵器としてしか使い道がなかったなんて…踏みとどまることはできなかったのかと悔しさがこみ上げる。

戦争が命の価値観を狂わせる

今、日本に戦争が起こったら、70余年前のように、命を軽んじる風が吹かないと誰が云い切れるだろうか?私たち人間は状況次第でどんな空気も生み出せて、都合のいい空気には進んででも飛び込むDNAを持っている。

戦争回避は頭でわかっていても、一度動き出した車輪を止めることは難しい。まともな理性を侵されてしまうことで再びの悲劇を生み出す可能性は否定できないと思った。

だから「命の単価」を落としめる戦争は絶対「NO!」





薄暮が垂れ込める呉湾の眺望を期待していたのだけど、残念ながら天気は回復せずじまいだった。ホテルの部屋で撮りためた写真を見ていると、思わずニンマリしてしまったのが、クルーズでのひとときだった。まぢかに仰ぎ見た艦船の美しさ!

不思議だぁ~、色を一切まとわない鋼の塊が、なぜこんなに清々しく見えるのだろう。「機能美」かな♬
昔の軍艦も、ひとびとの目には、さぞや頼もしく映ったのだろうな、なんてこと思ったりしながら、翌日の大一番に想いを馳せて眠りについた。

ということで今回の旅のテーマは「命」…だな♬

後編へ続く『「命の尊厳」を「原爆ドーム」から想う~広島平和記念資料館~』
     ↓
http://garakutama.blogspot.jp/2017/09/2017912.html



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