2017/09/27

「命の尊厳」を「原爆ドーム」から想う~広島平和記念資料館~2017.9.12

広島2日目、午後からの所要もあり、今日のメインイベントは午前中で終わる、つもりで早めにホテルをでた。駅そばというロケーションは、移動が簡単でわかりやすく超ー有難かった!(手配してくれたKさん、さんきゅ!)

さて、その広島駅をでたところにあるバスに乗って10分ほど…やってきたのはここ
「広島平和記念資料館」私の中では「原爆資料館」という名前のほうがしっくりくるけど…

今年の終戦の日、ニュース番組でジャーナリストの池上彰が、今年4月にリニューアルした展示室を解説していたのを覚えていて…いかなるものかと期待しながら館内に入った。




観覧料 大人/¥200 
休館日 12月30日・12月31日
9月~11月/8:30~18:00


3階フロア図


順路としては、まず常設展示場のある3階へと促され、被曝前の広島市内の写真を見るところから始まった。そこには、ふつうの暮らしを営む、ふつうのひとたち、路面電車が走り、商店街が賑わいを見せる市井の街並みが切り取られていた。

そして暗転…「失われた人々の暮らし」と題された小空間

ホワイトパノラマと呼ばれる模型(爆心地からおよそ2.5キロ圏内が原爆投下によって一瞬で変わる様子が映し出される)が設置された室内は、さっきまでと明暗を分けるように被爆後の惨状で埋め尽くされていた。





閃光直下 ふつうの人々は跡形もなく消えた


ホワイトパノラマ およそ1分半のCG動画 


室内の壁一面に貼り付けられた原爆投下後の広島市内のようす


室内をでて、回り込むように進むと「核兵器の危険性」と題された空間にでた


平日だというのに スゴイ人、人、人
外国人が多い 修学旅行や社会科見学の学生・生徒




「リトルボーイ」
広島に投下された高濃縮ウランを用いた原子爆弾


「ファットマン」
長崎に投下されたプルトニウムを用いた原子爆弾 


「広島県産業奨励館」原爆ドームのもとの建物
博物館・美術館の役割も果たした文化振興の場だった


原爆投下後の姿「原爆ドーム」と呼ばれるようになった


火災で変形したガラス瓶


放射能が人体に与えた影響は目を覆いたくなるほど惨い
後遺症が身体に現れた人体の写真なども多い


「広島型原爆(リトルボーイ)」のしくみを解説


2階フロア図


1階フロア図


中2階にある「広島の歩み」を駆け足で見たあと1階に戻る。そこは「企画展示室」実物資料の展示に多くの人が目を奪われていた。





誰かが遺さなければならない
カメラマンの慟哭が伝わってくるようで切ない



原子爆弾が爆発した瞬間、空中に発生した火球は、 0.3秒後には直径200メートルを超える大きさとなり、その表面温度は7,000度にも達した。 火球から放射された熱線は、 人にも物にも甚大な被害を与えた――

言葉にするだけでも血が凍りそうである。この大量破壊兵器の威力と惨状を「実物展示」という目に見える形で伝え、人々の心に訴え、核廃絶を世界共通の意思とすること…困難な道のりなのはよくわかっている。

昨今、日本を訪れる外国人が「絶対に訪れるべき」場所として、友人知人に強く推しているのがこの資料館だということ。大局はともかく、個人レベルでみれば、平和を希求する想いは世界共通、と思いたい。





資料館をでたあと、平和記念公園を通り抜け、元安川の川沿いの道を歩いた。前方に元安橋が見えた。手前には遊覧船…何とものどかな風景だ。
あの日、原爆が落ちたあと、熱傷で沸騰する身体を冷やし、乾いた喉を潤すため、この川も人で溢れていたに違いない。








色鮮やかな折り鶴と「原爆の子の像」が立つ一画に立ち寄ったあと、川沿いに戻ってくると、対岸にあの「ヒロシマ」の象徴が見えた!「原爆ドーム」だ。










この日の空は、朝からときどき雨がぱらつくスッキリしない天気だった。モヤっと感を引きずりながら歩いてきたけれど、ここに来て見上げた空はどうだ!青い!そしてその青空を背に建つ「原爆ドーム」から感じたのは、禍々しい戦禍の跡というより安堵感――

友人が云っていた言葉を思い出す。

――原爆ドームは日本中・世界中から祈りの目が向けられているから、絶えず供養されているようなもの ――だから 「浄化」されているんだ、と

私もその言葉に共鳴した。魂の浄化、信じたい――


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ところで私の中には、慰霊と同時に沸き起こる無視できない感情がある。それは、悲しみを通り越した「怒り」だ。

「何故、広島(長崎)に原爆が落とされなければならなかったのか」

「レズリー・リチャード・グローヴス」というアメリカ陸軍の軍人がいた。彼は「マンハッタン計画」の責任者で、アメリカが巨費を投じて開発を進めてきた「原子爆弾」を使いたかった。いや、使う必要があった。なぜなら…

以下ウィキペディアより

――戦争が終わる前に原爆を使用しなければならない、と考えた理由についてグローブスは、「原爆が完成しているのに使わなければ、議会で厳しい追及を受けることになる。」億単位もの国家予算を費やした原爆計画、グローブスはその責任者として、効果を証明しなければならなかったのである ―――

せっかく開発した2種類の原爆の威力を検証するためには、生贄が必要であり、人体実験は必要なプロセスだった!

対日参戦を間近に控えたソ連より優位に立ちたいため、早めに原爆を投下する必要があった!

政治的な思惑も絡み合った日本への原爆投下は8月15日に実行された。何も知らされない無防備な一般市民が、広島だけで12万人も、その年のうちに死んでいったのである。

戦争を早期に終わらせるためだと、まことしやかに米国では発表されたが、トルーマン大統領はコトの悲惨さ、重大さを軽く見ていた節があり、後付けの口実とも云われている。

どこの国でも「軍部(軍人)」というのは困りものである。想像力の欠片もない一部の権力者が暴走し、人々は何度も同じ苦渋を舐めさせられる。命を弄ばれたくない、絶対に!








「Imagine」

(原爆による)死の瞬間を想像してみた。一瞬で昇天するということがどういうことか

呼吸を断たれて水底へ落ちていく苦しみも、身体が銃弾を飲み込んで悶える苦しみも、飢えで発狂することもなく命の灯が消える。そこには痛みはないかもしれない。しかし戦場で死んでいった兵士たちと同じ人間、命の重みに変わりはない。

むしろ自分の身に起きたことも知らず、もしかしたらいまも、あの青い空の下を彷徨う魂が存在するかもしれない。かの人たちは果たして人間として死んでいったと云えるのだろうか、私はそこに尊厳を感じられないのだ。こんな死に方を強要する世界は要らない。

「安らかに、安らかに、戦争は二度と繰り返しません」

平和への誓いを――改めて心に刻みつけることができた広島の一日だった。



前編はこちら『「命の価値観」を「戦艦大和」に想う~呉市大和ミュージアム~』
   ↓
http://garakutama.blogspot.jp/2017/09/2017911.html


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