「たま山歩/未踏の山道をもとめて」
【安土城(山)(あづちじょう)】(標高 198m)
織田信長が滋賀県近江八幡市に築いた(1579年)
日本初の本格的な天主を持つ絢爛豪華な城
琵琶湖畔の要衝に築かれた天下統一の拠点だったが
本能寺の変の後に焼失し 現在は
国の特別史跡として 石垣のみが残る
天主と本丸が焼失したのは 6月14日から15日にかけて
信長の死と共に幻の城となった
誰が火を放ったのかは不明 諸説あり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
12時半 市営小幡観光駐車場をでる
向かうは 安土城(山) 所要時間13分
途中 JA近江 ファーマーズマーケット “きてか~な” に寄り
滋賀県日野町の伝統野菜 “日野菜” の桜漬けを買う
(ポリポリとした食感が美味♪)
JAをでて ほどなく 目的地に到着
周りに人がおらず 上り旗が並んだ舗装路が一本あるだけ
その入口に 案内図 歩き出すと
受付処 が見えてきた
安土城跡 摠見寺
入城料¥700 所要時間:約一時間 石段405段!
受付処の横を抜けると
幅広(6m)で 重厚な石が置かれ まっすぐに伸びた石段
これが「大手道」なんとも ドラマチックな景観
しかし あまりにも ド・ストレート!
これまでの山城のイメージを覆される
段差を高く感じる 大男向きか(笑)そして長い⁈
両脇に架けられた石板(橋)の先には
(右側) 前田利家 の館があったとされるところ
左側は 豊臣秀吉邸とされる
秀吉邸は上下二段に分かれた造り 広い!
城の門番でもするように配置された重鎮の館
信長の二人への信頼の厚さが感じられた
直線で180mもあるという大手道の途中には
摠見寺仮本堂(家康邸と伝えられる)
少しずつカーブを描いてくる石段 うっすら💦
その石段が終わって 現われたのが
「本能寺の変」で信長と共に命を落とした
嫡男・織田信忠の館があったとされるところ
敷地内を通り
少し行くと 再びの石段 天守・本丸へ行けるとある
視界が遮られてわからなかったけど
この石段は尾根上に造られているらしい
崩れることもなく堂々した状態を保ってる
その先には
黒金門(くろがねもん)
本丸へ至る中枢部の入り口
巨石を用いた強固な枡形(二つの門を食い違いに配置)虎口
ここまで わりと攻めやすい造りだったのが
ようやく 戦国の城らしくなってきた
もともとデカい石が多いけど ひと際デカい!
ここから先は
信長が選んだ側近たちと日常を送っていたという
もらったパンフレットに描かれてた地図
👇
黒金門をコの字に折れて先に進むと正面に
お釈迦さまの足跡を表現したという「仏足石」があって
左に折れて 石段を上ると
二の丸跡につく
奥には 信長公本廟 があった
中には入れないので門の隙間から撮影
信長の死(天正10年6月2日)後 開かれた 清須会議 で
信長の 二男/織田信雄と 三男/織田信孝が対立
秀吉は 信長の後継にわずか3歳の三法師(信忠の子)を推薦
荒廃した安土城を改修し 三法師(織田秀信)の居城とし
(天正10年12月に安土城入城)
後見人となり 信長の墓(本廟)を築いたことで
自分が信長の後継者であることを世に示した
信長には 11人もの息子がいたらしい
(娘も10名前後?)
子は家のため権力者の欲望のためその命を利用される
信長の子に生まれなければ
違う生き方もできたのにね
二の丸を出て 反対方向に行くと
本丸跡(写真撮り忘れ)
敷地に配された礎石の数を見ての通り
「千畳敷」と呼ばれたほど 広い!
周りは木々に囲まれていて眺望はない
順路に沿って行く先は 本丸取付台跡
上がりきると 目の前に
規制ネットが張られていた
発掘作業が行われていて
大きく崩れた石と人の姿が見えた
ここを過ぎたら
天守閣跡!
東西南北 それぞれ28m 礎石が整然と並ぶ
かなりくたびれた案内板💦あり ☝ 抜粋すると
天正10年6月/完成からわずか三年で焼失した天守閣
訪れるものもなく調査の手が入ったのは昭和15年
厚い堆積土を除くと往時そのままの礎石が現われた
五層七階(地上6階/地下1階) 傑出した高層の大建築
これ以降全国でつくられた高層天守の出発点である
とのこと
石垣の上からは さっき見た 信長公本廟が見える
発掘調査中いうことで
あまりうろつくこともできず 退出
天守閣を再現している資料館があるらしい
次の機会にはぜひ訪れたい♪
発掘工事現場を遠巻きに見る 急崖だ
本丸に下り 三の丸(進入禁止)をチラ見して
黒金門にもどった
ふりかえって 二の丸の土台の石垣を見上げる
450年近くも経っててこの安定感は 凄い!
思えば 大手道に踏み込んだときから
この城の重量感に圧倒されていた
巨大石を多く使った石垣+高層天守閣の重さ
よく支えていられたなと(発掘調査の場所は例外で)
安土山について調べてみたら
地質・地盤についての記述を発見した
👇
安土山は全山「湖東流紋岩類」のメンバーの一つ
「瓶割山溶結凝灰岩」からなるとされる
(約7,000万〜6,000万年前の火山活動)
石垣や石段に使われた石材もこの周辺の山地から
切り出された硬い流紋岩や凝灰岩を主に利用
溶結凝灰岩からなる山地は周辺に多くあり
地盤が強固なためか 戦国時代 多くの山城が築かれた
なるほど やはり
堅固な地盤と地形が
天下統一を目指した織田信長の権力の象徴となる
―絢爛豪華な巨大城郭― の建設を支えていた
ということになるようだ
信忠の館を抜けたところでもと来た方向とは逆を行く
(順路に従う)
と 開けたところにでた
御堂の屋根が見える ここは
摠見寺本堂跡
信長が安土城の中に建てた寺院
城内を訪れる人の多くがこの境内を横切って
信長のところに参上したらしい
江戸時代に焼失したため 今は 大手道脇の
徳川家康邸の跡地に移されている
眺め佳し!
城内で唯一 ここだけ 城下を眺めることができた♪
少し下ったところにある三重塔
室町時代のものを信長が移築したものらしい
信長は 信仰に熱かったひとなのか?
ここからがメチャ急石段
信長に会いに来た人たちは大変だったろうな💦
石段の途中にある 「二王門」を振り返る
楼門と門内に安置されている木造金剛二力士立像は
ともに国の重要文化財
軒裏の垂木の美しさに圧倒される―♪
更に急な石段を下りつづけ
ようやく平坦地に しばらく行くと
秀吉の館跡に戻ってきた
安土城 山歩 終了!
受付の出口側で 御城印と御朱印 いただきました
セットになってて(もう一種類ある)¥1,000
戦国時代を象徴する名城(跡)を満喫できた♪
ありがとうございました
駐車場に戻ると 時刻は 14時20分
じつはもうひとつ 行っておきたいところがあった
金ヶ崎から小谷へ移動中に見てしまった賤ケ岳の標識
こんなに近くにあったと知り 欲が出てきた(笑)
調べたら一時間ちょっとでイケる!
間に合うと思い Googleナビをセットし走り出した
ところが このあとミスの連発!
第一のミス
一般道で行くつもりが 高速不使用チェックを入れ忘れる
気が付けば 蒲生スマートIC入口に来ており
名神高速に 乗るしかなかった
第二のミス
分岐でカーナビの表示を見誤り
北陸自動車道への乗り換えができなかった!
そのまま関ケ原ICまで行ってしまい約30分のロス
Uターンして木之本ICで下りたとき時刻は16時
さくらまつりをしている伊香具神社の前を通り過ぎ
賤ケ岳入口を探すもうまくいかず
戻って伊香具神社で受付してたおっちゃんに聞いたら
リフトはもう間に合わんかもと言われ
☞ 賤ケ岳リフト
営業時間 9:00〜17:00 下り乗車 16:45まで
なんか力が抜けて 諦めた
あまりに時間がなさすぎる
余呉湖 見てみたかった😢
第三のミス
帰りに使った 県道(国道?)が
その先通行不可(福井への山超え)になることに
気づかず20分ほど走行
対向車も後続車もないことに気づいて道をもどる
なんというか 交通ミスが多い💦
ドライブ旅らしいといえばらしいけど
が ラッキーなこともあった♪
県道140号で出逢った このトンネル

妙にそそられる そして小さい?
となりの高速に「柳ヶ瀬トンネル」とある
ここは 滋賀県長浜市と福井県敦賀市の県境
道路脇に石板を発見 近代産業遺産!
読んでみる 👇
明治7年完成当時は日本最長(1,352m)
黎明期の技術進歩に大きく貢献
現役トンネルでは2番目に古い
おー凄いじゃん!
幅員が狭いため信号による交互通行💦
どうりで 待ち時間が長いはずだ
でも なんかいい時間だった
古いトンネル 嫌いじゃないので♪
トンネルの中は 表面処理されていてきれい
ただやっぱり 狭かった💦 チョットドキドキ
道まちがいの “おかげで” 御宝に出逢えた
旅っておもしろい♪
敦賀から北上するときに見えた海岸線の美しさに感動
福井市内で平日の渋滞に巻き込まれたけど
軽バンにはちょうどいい “流れ” だった
小松のKFCに寄り道して20時過ぎ 無事帰宅
神さま ありがとうございました💓
◇ 吉方-戦国合戦地を巡る旅を終えて ◇
2026年大河ドラマ「豊臣兄弟」から目が離せない
史実しか知らなかった私が
今回 見て 感じたことが この先の視聴を
一層 見ごたえあるものにしてくれるのはまちがいない
今の自分にできること 苦手なこともわかったし
ガソリン値上げが悩ましいけど
めげず くさらず また旅をに出るぞー(^o^)丿
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